こんにちは。めたろんです。
ここ数日、耳を疑うようなニュースが次々と飛び込んでくるロシア・ウクライナ情勢(2022年2月現在)。
筆者は動向を見守ることしかできないのですが、せめてウクライナのことをもっと知りたいと思い、調べてみました。
この記事では、下記のような疑問に答えます。
それでは見てみましょう。
Contents
ウクライナについて。一般人目線のざっくり概要と生活トピック
ウクライナの基本情報
発祥
8世紀にキーエフという兄弟がドニエプル川を遡って現在のウクライナ首都、キエフにたどり着いたのがロシアの発祥と言われています。
その後、交通の要所として争いの舞台となり続けたこの地が、ウクライナ国家として建設されたのは1991年です。
地理
東ヨーロッパに位置し、黒海に面しています(黒海に面している他の国:トルコ、ブルガリア、ルーマニア、ロシア、ジョージア)。
ドニエプル川が国土の中央を流れています。
宗教
ウクライナの代表的な宗教はキリスト教です。黄金の美しい屋根(→神様に見つけてもらいやすいように黄金色にしたと言われている)を持つ教会がウクライナ各地に存在しています。
通貨
ウクライナの通貨はフリヴニャ(UAH)です(1フリヴニャ=3.89円、2022年2月現在)。資料によってはグリヴナーと表記されていたりします。
キエフなど都市部では至る所でドル等の外国通貨を両替することができますが、日本円に対応している両替所はとても少ないようです。
産業
ウクライナの土壌は「チェールノーゼム(黒土)」と呼ばれとても肥沃で、小麦やトウモロコシ、ヒマワリなどが生産されています。酪農や養蜂も盛んに行われています。
参考文献:ウクライナ100の素顔
ウクライナの生活トピック6つ
個性豊かな集合住宅
首都キエフでは集合住宅に住んでいる人が多く、ベランダに温室を作ったり、敷地内に作られた中庭で憩ったりしています。
公園にはブランコや滑り台などが設置され、日本人からみても既視感を覚えるような情景がみられます。
日本の集合住宅と少し違うところは、階層ごとに色や形状が微妙にちがっていたり、建物上部のデザインが凝っていたり、壁面をつかって巨大な絵が描かれていたり、特徴豊かなところでしょうか。
参考サイト:キエフのベランダはかわいい
忘れがたい名作絵本
先日図書館に行くと、ウクライナコーナーが作られていて、そこに大好きな絵本が置かれていました。
おじさんが冬の森に落としていった片方のてぶくろを、ちいさなネズミが見つけ、そこをお家にするというかわいらしいお話。
その後、かえるやきつねなどがやってきて同居人になったりします。普通のてぶくろがすてきなお家に見えてくる絵もすばらしい。
後半は物理的トンデモ展開に。。
ぜひ読んでみていただきたいです。
芸術が日常である
ウクライナではバレエがとても盛んで、国立劇場では1,000円ほど払えば良い席で「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」「コッペリア」などの公演を鑑賞することができます。
彩りゆたかな家庭料理
ウクライナの家庭料理、ボルシチ。赤いスープに白いスメタナというクリームが添えられ、目にも鮮やかな一品です。
赤い色の素はビートというほうれん草の仲間。
このボルシチとパンは日本人にとっての味噌汁とご飯にあたり、各家庭の味があるようです。
他にもカツレツやペリメニ(水餃子)、ピロシキや発酵肉など、美味しい料理がたくさんあります。
日本にない飲み物としては「クワス」という、黒パンを発酵させたドリンク(夏によく飲まれるようです)があり、筆者はいつか飲んでみたいと思いました。
荘厳な地下鉄
キエフの地下鉄は世界一深いのだそうです。エスカレーターも長く日本のものよりかなりスピードがあります。構内は装飾的な丸天井があったり、シャンデリアがかかっていたり洒落ています。
2003年頃には地下鉄車内をアコーディオン奏者が歩いて回ったり、物を売る人がいたそうです(現在は未確認)。
参考サイト:世界一深い地下鉄駅はすごくすてきだった
にぎやかな市場
生活必需品を(スーパーでなく)市場で買う人も多いようです。衣類や洗剤や釣り道具など、陽光の下、売る人と掛け合いをしながら買い物をするのは楽しそうです。
都市郊外では線路の脇に露店が並んだりします。そこを普通に電車が通ったりしてスリリング。
楽器や様々なバッジや骨董などの蚤の市も多く開催されます。こういう宝探しのようなマーケットは日本でもたくさんのお客を呼びますね。
参考サイト:ウクライナの市場:便りがないのは良い便り
まとめ
今回ウクライナのことを調べてみて、当たり前ですが自分と同じような人々が暮らしているということ、温かでこまやかな生活があり産業や芸術・文化を育んでいる国であることがわかりました。
現状のウクライナ情勢について、筆者は浅学でもあり語るべきでないのは承知の上ですが、ある文献のあとがきに印象にのこる一文がありましたので引用させていただきます。
ウクライナからポーランドに入る国境駅で、~略~ 目の前に広がる色彩の華やかさにしばし圧倒された。まるで針葉樹の疎林を抜けて花畑に入り込んだようだった。店々の看板も、歩いている人たちの服装も、鮮やかな色彩で午後の陽光に映えている。人びとの動きも気のせいか生き生きとして見える。~略~ ポーランドはたしかにもう「西側の国」なのである。
引用文献:イスラエル×ウクライナ紀行/佐藤康彦 著
この文献は1997年に出版された紀行(旅行記)ですが、東欧から西側に抜けたときの感じが、あたかも「世界に色がつく」というふうに表現されていて、ああ、現地ではそのように感じられたのかと思いました(20年以上経った現在の様子はもちろん想像するしかありません)。
画像資料で垣間見るウクライナの人々の生活は十分に充実し彩りのあるもののように感じますが、それでもそこから「西側」を見たとき、より明るい世界に見えるのでしょうか。
ロシアという厳格で過干渉ぎみの親を、疎ましく感じる子のように、となりに広がる西側の世界に行きたいという動きがあったのでしょうか。
一刻もはやく平和がとりもどされることを願ってやみません。
さいごまで読んでいただきありがとうございました。