【魔窟】九龍城について

2021年8月14日

「九龍城」に興味を持つ人は多いでしょう。

香港にかつて存在した、巨大な集合住宅。

筆者は「九龍城探訪」という本でその概要を知りましたが、やはり独特の魅力を感じました。

1993に取り壊しが実施され今はもう存在しない、この無二の高層スラムについて、いくつかの項目で考察しました。

 

 

【魔窟】九龍城について

九龍城のなりたち

始まりは1830年代頃に遡れるようですが、1950年代頃からバラックが建設され、中国大陸からの流民が暮らし始めました。

その後、無計画な増築が繰り返され、地上約45メートルを上限に積み上がったRC構造建築となり、様々なバックグラウンドの人々がひしめくように暮らしました。

 

九龍城が内包する「普通のくらし」と過剰性

「九龍城探訪」では、九龍城の住人ひとりひとりにスポットをあて、その職業や居住歴が紹介されています。

日本人と同じ見かけの人々が、製麺や菓子製造、あるいは歯医者や理容店を営みながら長く暮らしていた様子をみると、その生活が特別なものではないことがわかります。

 

めたろん
魔窟とも形容されることから少し恐ろしいようなイメージを持っていましたが、個々の住人たちが「普通」の暮らしを営んでいたことが意外でした。

特に筆者は子供時代にRC造の団地で暮らしていたこともあって、懐かしさすら感じます。

 

九龍城は、その構造・有り様・倫理観のスケールが無秩序かつ大規模に膨れたことによって「異質」になったのかもしれません。

限られた空間内に様々な人間がひしめき、ヘロイン売買等の犯罪が横行し、あらゆる人生が交錯しました。

そして取り壊された1993年以降は「今は亡き」というベールを獲得し、より蠱惑的な存在となりました。

 

九龍城のノスタルジーはどこから来るのか

人が暮らすのに一番自然なのは、地面に家を建て、地面を踏みしめて暮らすことでしょう。

土地を離れ、上に上に構造物が伸びていけば住む場所としては不安定になっていくのは自然の摂理です。

 

まして九龍城は現在のタワーマンションのように最新の建築技術によるものではなく、無計画に増築が重ねられ、構造的にも文字通り不安定な建築物です。

 

積み上がったコンクリートの箱に暮らす曲芸のような生活。それでいて何十年も安定して営まれた数多の暮らし。

 

城内は衛生状態が悪く、エアコンにより空気も汚れていましたが、資料に映る住民の子供たちの表情はあどけなく、つやつやした髪は健康そうです。そのような不思議な状況のギャップや、時間の経過がノスタルジーの源泉かもしれません。

 

とまくん
「普通」が確かにあったという温かみを感じるね。

 

九龍城:雑感1

筆者の印象に残っている写真集に、荒木経惟「さっちん」があります。

時代は昭和30年代くらい、団地で暮らす元気な男の子が撮られています。

色彩のない、寒々しさを感じる環境を背景に、子供の無邪気さや躍動感がひきたっています。

 

 

「九龍城探訪」の最後の数ページに、屋上の様子が写真で掲載されていますが、「さっちん」と通じるところがあります。

 

あたりにはゴミが散らばっているし、粗雑な感じのアンテナが無数に立っていますが、そこに憩う人たちの表情に暗さはありません。

 

年配の女性が座って遠くを見ていたり、若い男性が筋トレをしているのを男の子たちが興味深そうに見ていたり。この場所がもう存在しないのが信じられないくらいです。

 

九龍城:雑感2

無計画・無秩序 というのは九龍城の大きな特徴の一つです。

外からの視点ならではの気楽さかもしれませんが、筆者にとってそれは時に子供の頃につくったダンボール基地のワクワクさを思い出させます。

思うままにハサミを走らせ、テーブで止め、余ったダンボールで操縦席なんか急造し、ものの数時間で完成した秘密基地。

無計画・無秩序でありながらあれほどの規模を誇る建造物が、今後現れることはないかもしれません。

 

九龍城:雑感3

たとえば草花を観察すると、そのディテール(細部)の造形に一切手抜きがないことが、当たり前だけれどもすごいことに感じられます。

みっしりと積み上がった箱の中でこまごまとカラフルに人々が生活していた様は、そんな草花の造形にも似ているようです。

そう思うと、九龍城が多くの人々を魅了することは不思議ではないと思えます。

 


いかがでしょうか。

「今は亡き」九龍城の暮らし。興味をもっていただければうれしいです(^^)/

-コラム