こんにちは。最近、抽象画の画家たちに興味がある、めたろんです。
この記事を開いていただいた方は、カンディンスキーに多少なりとも興味を持っておられることと思います。
私はこれまで正直、自分の中で「好きでも嫌いでもない」カテゴリーに入っていました。
なぜなら、その作品はパッと見ただけではよくわからないからです。抽象絵画がよく被りがちな宿命ですね。
けれどもカンディンスキーの絵画たちはずっと私の意識のすみっこに居続けました。何かがそこにはあるのだろうという思いがずっとあったのです。
そして今回彼の人生や作品を調べてみて、絵を描くということについて画家は真剣に切実に考え抜いているということを知りました。
「真剣に世に問う」ということがすなわち創造するということなんだということを教えられた気がしました。
Contents
画家についての概要
ワシリー・カンディンスキー(Wassily=Kandinsky, 1866-1944)はロシア出身の画家、美術理論家で、モンドリアンやマレーヴィチとともに、抽象画の創始者のひとりとされています。
モンドリアンについてはこちらの記事もどうぞ↓
モスクワ大学で法律と経済を学び、30歳を過ぎてから絵に取り組みました。
風景画の制作にはじまり、幾度かの調査旅行や神智学からの学びなどを経て、「画家自身の内面を表現」する作品群で大きな影響力をもち、美術理論家としても活躍しました。
革新的な作風は時に批判や否定をされることもありましたが、後にはフランスで最も重要な美術家の1人と目されるに至りました。
主な作品
コンポジションⅦ/1913
いくつかの円/1926
画家の略歴および、作品の変遷について
カンディンスキーの略歴と、作品の流れについてポイント的に紹介します。
子供時代から青年期
- 1866年、ロシアのモスクワに生まれる
- 1871年、両親が離婚
- 1886年、モスクワ大学に入学。法律から経済などを学ぶ
- 音楽が音の連なりだけで人を感動させることを受け、作曲するように絵を描く方法を模索し始める
- モネの「積みわら」を見て感動。絵は具体的に何かを説明せずとも、純粋な色や形態だけで成せるという考えに至る
具象からの出発
- 初期の作品の多くは風景画や人物画であった
- フォービスムの影響を受ける
フォービズムとは:
20世紀初頭の絵画運動の名称。ルネサンス以降の伝統である写実主義とは決別し、目に映る色彩ではなく、心が感じる色彩を表現した。
引用元:Wikipedia
- 馬上の二人/1907
独自の美術理論に向かう
- 絵画作品以上に、絵画理論家として影響力を持ち始める
- 内なる感情や衝動を絵画表現に写していくことが抽象化よりもむしろ大切だと考え方が、美術界に衝撃を与える
- 騎士/1911
試みが熟す時期
- 1922年からバウハウスで教官を務め、このころ多くの作品が生まれる
バウハウスとは:
1919年、ヴァイマル共和政期ドイツのヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。
引用元:Wikipedia
- 黒の正方形の中に/1923
活動における向かい風
- 第二次世界対戦の頃、フランスでは抽象絵画が評価されなかった
- カンディンスキーの作品も冷遇され、「退廃的芸術家」といわれることもあった
- パリのアパートで生活しながら作品制作を続ける
- 作品に有機的な印象があらわれる
- 空の青/1940
- 1944年、パリで最後の展覧会が開催
- 1944年、動脈硬化によって死去
作品の値段
美術史上重要な転換点の一角を担うカンディンスキーの作品は、各オークションで高額で取引されてきました。
一部を紹介します。
- 1990年、「フーガ/1914」が2090万ドルで落札
- 2012年、「即興8の習作/1909」が2300万ドルで落札
- 2021年、「Tensions calmées/1937」が約32億円で落札
カンディンスキーと共感覚
カンディンスキーには「共感覚」があったとも言われています。
共感覚とは:
ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象。例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに、色や形を感じたりする。
引用元:Wikipedia
カンディンスキーの、自己の内面や音楽を色や形に変換してみたいという欲求は、たしかに共感覚からきたものかもしれません。
まとめ
- カンディンスキーは、抽象画の創始者の1人
- ロシア出身。画家であるとともに美術理論家としても活躍した
- 単なる抽象ではなく、自身の内面を画面に現そうとした
- 現在も高い評価を得て、作品は高額で取引されている
カンディンスキーの画業を調べるなかで素朴な思いを持ちました。
人はどうしてこんなにも自分の表現をみつけようと懸命になるのだろう?
カンディンスキーは幼い頃に両親が離婚したときに世界に対するおそれを抱き、自己の内面世界に向き合うきっかけになったとも思われますが、
そこからやがて「絵画表現と内的心象を直接つなぐ」という、史上ほぼ初めての試みに至ったことを考えると、人生のネガティブな出来事がどんな創造の種になるかわからないなと思います。
カンディンスキーは抽象画の巨匠といわれていますが彼自身の考えとしては、抽象的に描くというよりもあくまでも心の中をそのままキャンバスに現出させたいということを言っています。
それをふまえて改めて彼の作品群をながめると、「表現したい」という思いがよりせまってきて胸をうたれます。
カンディンスキーは絵画と同等かそれ以上に美術理論家としても評価されていますが、「理論」という頭脳的な活動が、あの作品群のあどけないような印象を創りだしたという所に温かな二面性を見る気がしました。
最後まで読んでいただきありがとうございました(^^)。
※カンディンスキーの著作権について:保護期間の経過によりパブリックドメインとなっていることを確認の上、作品を掲載しております。参考サイト:Public Domain